嫌な仕事、いじめ・・・「人生を変えたい」と思うならば、何かを変えなければならない

嫌な仕事、いじめ・・・「人生を変えたい」と思うならば、何かを変えなければならない

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私は人間が生きる上での絶対的命題は、「良い人生だ」と言えること、死ぬ前に「良い人生だった」と思えることだと考えています。

「人生を変えたい」と思うなら、何かを変えなければならない。

当たり前のことを言っているようですが、そう思っている人のほとんどが、その当たり前をできていないのが現実です。

変えたいならばなぜ変えないのでしょう?

「○○をしたい」という言葉は何なのでしょう?犯罪をするわけでもなければ「したい」ならすればいいし、しないのは本当はしたくないだけではないでしょうか?つまり『甘んじている』ということ。

「もっと多くの収入を得て豊かな暮らしをしたい」「自分にふさわしい異性とめぐり合いたい」「この現実から逃れたい」と思いながら、実際には、ただ同じ毎日を繰り返しているだけです。

とどのつまり、それは誰しもが「人生を変えたい」と言っていれば、神様みたいな存在が変えてくれるのではないか?と期待しているからです。いわゆる他力本願です。

しかしそんなことをしてくれる神様は何処にもいないのです。

そんな神様がいたら、世の中から恵まれない人はいなくなるはずです。

もしもそのような存在がいるとすれば、それはほかでもない自分自身だけです。

世界的有名企業の創始者、偉大な功績をおさめた研究者、オリンピックの金メダリストと言った人たち、は神に祈っていたからそれを手にしたのではありません。

歴史的ミュージシャンの一人、ビートルズのジョン・レノンもこのような言葉を残しています。

何をしていようと、結局決めるのはいつだって自分自身なんだ。自分の神殿の、自分の神にたずねなきゃいけない。すべては自分次第なんだよ。

『己の神は 己のみ』なのです。

神というとまるで宗教の勧誘セミナーのようですが、その通りです。

これは言うなれば、『自分教』の信者になるということ。もちろん人にとっての神になろうなどと言えばおこがましいですが、自分が自分の世界の神になることは誰に咎められることではないのです。

人生を変えるために、自分という世界の神である自分が変えるべき何かとは何なのでしょうか?今回は2つの事例から解説していきます。

無個性でつまらない仕事を辞める

NHKでフランスの経済学者の方が、「一般の人がロボットのように働かされ、創造力が搾取される時代」と言っていました。

ニュースでよく『有効求人倍率』が上がったとか、『失業率』が下がったなどと言われていますが、これがさも景気指標のように扱われ、まるで景気が上がったかのように印象付けされています。(別に政府批判しているわけでなく。)

しかし一説には、倍率が上がったとされる仕事のほとんどがサービス業や介護の求人が増え、女性のパートタイマーの雇用数が上昇に推移しているだけに過ぎず、一概に「景気が上がった」と見るのはお門違いとされています。

確かに一般層向けの求人を見ると多くが派遣の電話掛けやサービスの数合わせ求人だらけなのもそれを裏付けています。

これは要するに、年月とともに格差社会が拡大していくのが如実に表れているだけと言えます。

よく俳優やダンサーが「自分を表現するのがするのが好き」と言ったりしますね。それらの仕事はまさにその対極であり、創造力の必要性、はまた人間的個性の介入する余地など皆無です。

自分は無個性で言われるがまま流れ作業を繰り返すことが苦にならないと自覚できていればよいのですが、ほとんどの人は大なり小なり個性や自我を持っているはずです。

今の世の中は創造力があるほど、生きづらい世の中に作り上げられてしまっているのです。

よく「東京に行けば仕事が多い」などと言いますが、要するにそういうケアの仕事や人海戦術の駒みたいな仕事が多いだけなのですね。毎朝毎夕暗い顔で電車にすし詰めになっている人々、あれが仕事が多いと言われる東京の現実です。

そういった仕事に勤め、感性を殺されている人達が「つらい」「辞めたい」となり、ストレスに負けて時に自ら命を断ってしまったり、それこそ「人生を変えたい」と考えるのです。

ですが、だったら辞めればいいのですよ。

その仕事を続けていなければ、誰かに命を奪われたり、肉親を人質に取られているという人は恐らくいないはずです。誰もその人にそれを強制しているわけではないんです。

もしも周りにその仕事を強制する人がいるのであれば、その人が重んじているものは世間体か何かで合って、その人はあなたの味方ではありません。距離を置くべき人です。

「周りの人たちに迷惑がかかるから辞められない」と思っている人。周りの人が「あなたの心や体がボロボロになって関係ないから、とにかく続けてください」とでも言ったのでしょうか?それは周りの人を言い訳にしているのではありませんか?

周りに気を遣って言うべきことを言わない人が、結局一番周りに迷惑をかけるのです。

「生活があるからそういうわけにはいかない」と思っている人もいるかもしれませんが、なぜその仕事でないと生活ができないと決めつけているのでしょうか?生まれた時からその仕事をしていたわけでないのですから、その仕事を見つける前と同じように、また探せばいいのです。

人間というのは思い込みの生き物ですから、大抵の場合自ら鎖で縛りつけているに過ぎません。

仕事を辞めたい人がやるべきことは、仕事を辞めることです。今日辞表を書いて、明日提出し、退職日までの間に転職活動をする。

日本は石橋を叩く性格の人が多いため、「次の仕事が見つかってから辞めるべき」という考え方の方が多いですが、そういう人は甘んじてしまい、惰性でいつまでも続けるものです。

「仕事は人生の割合のほとんどを占める」と言いますが、ならば仕事が駄目なら人生は駄目ですし、仕事が楽しかったり上手くいっていれば人生もまた同じくそうなのです。

自分が自分の仕事を「つまらない」と思っていないならば、他人にどう思われようとまったく関係はありません。むしろ辞めろと言われても「絶対辞めたくない!」と思える仕事をしている人がいたら、その人は勝者なのです。

そういう仕事を探し出そうと動くことが辛いのか、今の仕事を続ける方が楽なのか?

今一度自分自身でよく考えてみるべきではないでしょうか?

いじめられるのをやめる

いじめのニュースが定期的にあります。おそらく取り返しのつかなくなったものが表面化して公になっているだけで、全国にはもっともっと無数にいじめがあり、苦しんでいる人がいるはずです。

まず、人間は卑怯な生き物なので、いじめというものは絶対になくなりません。

弱い人間は自分が優位に立てる相手を探して貶めることで安堵感を得るため、いじめをするのです。

そしていじめられる人というのは、優しい人です。大人しい人とも言われますが、私は昔から大人しいタイプの人間でしたが、まったくいじめられたことはありません。それはおそらく優しくないからです。

いじめをするような人間は、やり返してこないような優しい人しかいじめないのです。

「いじめられたくない」「いじめをやめてほしい」と願っている人。

しかし心の中でいくら願っていても、いじめをする人間がある日突然改心することはありませんし、助けてくれる神様も当然いません。

いじめをやめさせる神様もまた、ほかでもない自分自身なのです。「いじめをやめてほしい」ではなく「いじめをやめさせる」のです。

しかし、とりあえず暴力で報復するのはやめておきましょう。最悪の場合被害者なのになぜかこちらが捕まるからです。

まず第一にすること。それは何を置いても「親に言うこと」です。これをしなければ何も始まりません。一番の味方に助っ人を頼まずに誰と戦をするというのでしょうか?

そして親は大人です、子どもが考え付かない解決策を考えてくれる可能性が大いにあります。

いじめのニュースなどを見ていると、いじめを受けて自殺をした生徒の両親が「そんなにひどいいじめに合っていたとは、知らなかった」と語っていることがあります。

私は思います。「なぜこの生徒はきちんと親に言わなかったのか?」と。

わたしに言わせればこれは、親にとって「いじめられている」と伝えることも何千倍もの、最大の裏切り行為です。親にとって打ち明けてくれた方がどんなに良かったか。

このような手段に出ることは、いじめに甘んじてやるべきことをやっていなかったと言えます。

「やはり親を悲しませたくないから、言いづらい」と思っている人に、適切かはわかりませんが気持ちを軽くするため、伊坂幸太郎の小説に出てきた、私の好きな言葉を送ります。

「本当に深刻なこと陽気に伝えるべきなんだよ」

そして親に打ち明けたら、次は教育委員会に言うことです。そのためにもしっかりといじめの証拠を残しておきます。

ニュースなどを見ていると先生にいじめの事実を打ち明けたところで、何の解決の役にも立たないことがほとんどです。なぜなら大体が出世の査定に響くことを嫌う事なかれ主義のサラリーマン教師だからです。どちらかと言えば目立つ生徒の味方をしたりへりくだってばかりという傾向にあるようです。

ですから、下っ端に事を持ちかけても時間の無駄です。相談したところで、そこでせっかくつけた火種が消し止められてしまったら、それ以上燃え広がることはありません。それを待つ間もあなたは学校に通わなければならずいじめという煮え湯を飲み続けることになります。

教育委員会にいじめの事実を伝えるためにも、しっかりといじめの証拠を残しておきます。

罵声を浴びせられたり、悪口を言われたりと精神的ないじめを受けているのであれば、まずはスマートフォンの録音アプリやボイスレコーダーを懐に忍ばせて録音をしておきます。次に誰に何をされたのか実名といじめ行為の詳細をパソコンや日記などで記録しておきます。

次に、肉体的ないじめを受けていれば、医者へ行って診断してもらい証拠を取っておきます。そこでもし医者に原因を聞かれたら「学校でいじめられていまして・・・」と言えばいいでしょう。隠しても別に得をしません。

そして、教育委員会に伝えたとしても問題が世間に知られることを避けて、隠蔽する恐れがあります。

そんな時の次の手段は、地元の新聞やテレビなどの思いつく限りのメディアに投書を送ることです。自分の置かれている現状、それを克明に記録したものを伝えるのです。

それに反応を返して取り上げてくれるメディアがあれば、いじめの事実を明るみにするための大きな足掛かりになります。それが教育委員会や学校の耳に入れば当然対応せざるを得ない状況に追い込まれることになります。いわば外堀から包囲していくのですね。

戦うことは声を上げることです。できる限り大きく広く声を上げて周りに伝えていくことが最も重要なのです。声を上げないことは戦わずして敗けるも同じことなのです。

もう一度はっきり言いますが、いじめをしている相手は雑魚です。それゆえに同じ大人しいでも、優しい人はいじめ被害に遭い、私のような考え方を持った人間はいじめられません。ですから、私の考えを参考にしていただければと思います。

ねずみやシロアリの駆除と同じです。被害を食い止めるには徹底的に根絶するまでやるしかないのです。根絶して初めて安寧を得られるのです。またわいてきたら同じように駆除し続けるだけです。

大人になっても自分を犠牲にすることを強いられる社会ですが、自分に過酷な環境を強いる周りの生徒や、学校のことなどどうなってもいいのです。子供の内からもっと自分の事だけを考えて生きていきましょう。

まとめ

最後に一つ言っておきますと、私の言うことを仕事やいじめで苦しんでいる側の身にもならずに暴論を言っていると思う方もいるかもしれません。

ですが、耳障りのいい当たり障りのない言葉だけ並べている人は、何も解決できていないのが事実です。

いやな仕事をどれだけ続けても、好きにはなることはありません。そしていじめは被害者に取って深刻な問題ですが、いじめの解決策は明快で、選択肢は「やる」か「やらない」かしかないのです。「解決するのか」「解決しないのか」です。

多分私の考え方は単純に人間の根源的な考え方です。

これを読んだあなたは、自分と社会、自分と学校、どちらを取りますか?どちらが大切ですか?

自分の世界をどうにかしてくれる神様はいない代わりに、誰か別の存在に拝んでまだかまだかと待たなくても、自分自身が自分の神となって自分の世界を変える。その方が早い気がしませんか?

思い立ったが吉日。これは真理です。有限な時間を無駄にせず、すぐに行動に移しましょう。

それではここまでです。お読みいただきありがとうございました。

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