経営者と雇われ人のメンタルはまったくの別物 あなたはどっち?

経営者と雇われ人のメンタルはまったくの別物 あなたはどっち?

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最近の投稿の中で「採用活動にしても経営者と中間管理職ではスピード感が違う」という内容の話をしました。

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なぜそうなのかというと、それはメンタルが違うからにほかなりません。「メンタルが強い、弱い」ということではなく、そもそも別次元だということです。

以前ネット上で、「雇われることもできない人間が、経営者になんてなれない」と書いている人がいました。

確かに特定の分野においては技術や知識の有無でそういう側面もありますが、そもそもメンタルは別物なので、一概にそうは言えません。

雇われ人でありたい人がそうなっているだけで、経営者になりたい人は経営者になることができるんです。

なぜならトップに立てる人間とそれ以外のメンタル面における違いは明白で、向き不向きがあるからです。

昨日、たまたまテレビを見ていいると、この理論を裏付けるような経営者の逸話が紹介されていました。

今回はそんな経営者の話を交えながら経営者と被雇用者の違いについて書いていきます。

経営者と雇われ人の責任感は別物

経営者は自ら率先して仕事に取り組みます。もっと言うと「経営者は人を遣うこともできるが、自らはそれ以上にやる人」であることがほとんどです。

まず昨日のテレビで注目したのは、業績が落ち込んでいた『はとバス』の収益をV字回復させた元社長の宮端清次さん。

この社長さんは都庁からはとバスへ新社長として就任すると、社内に蔓延する怠慢の空気を感じ取ります。

というのも、はとバスの筆頭株主が東京都であったため、社員の胸中には「いざとなっても、東京都が何とかしてくれるだろう…」という慢心があったのです。

そんな中で宮端さんははとバスの改革に乗り出します。

ある日の社内会議でこんなことがありました。

今後の取り組みへの方針が話し合われたのち、1人の役員が「では、末端にも周知しておきます」と言ったそうです。

それが腑に落ちず宮端さんは「末端とは?」とたずねます。するとその社員は「それは運転手やバスガイドですが…」と言うのです。

宮端さんは懸念を覚えます。たしかに通常の企業は社長や取締役を頂点にピラミッド型のヒエラルキーが構成されています。しかし宮端さんの考え方はその逆でした。

お客様と第一線で接する現場の従業員こそが、社の要だと考えていたんです。

この件で、社長は社員の理念を根本から改革することを意識します。

その後、宮端さんは現場の意見を直に聞くためバスガイドさんたちとの話合いの場を設けます。

始めはためらいがちだったガイドさんたちの中から、一人の方が「ツアーで出すお茶の質が落ちて、お客様から不満が出ている」と進言します。

「どういうことか?」と、そこにいた本社の責任者にたずねると、「社長から経費削減の指示があったので、安価なものに変えました」というのです。

宮端さんは愕然とします。「社の営業改革を行うための経費削減に、まずお客様へのサービスの質を落としてしまうとは…」

そのあとで宮端さんはすぐに、お客様に出すお茶を従来のものより品質の良いお茶に替えました。そして回収した安価なお茶は社長室用にしたそうです。

また、宮端さんは休日を利用して自ら社のツアーを利用するといったことも試みます。

そこで「あの場所をもっと見たかった」「ここはあまり見ごたえがない」「冷めた食事が提供されている」などといった、生の利用者さんの声を自らリサーチし、それを次々にサービスに反映していったんです。

そんな社長の尽力が実を結び、業績の落ちていたはとバスは見事なV字回復を遂げることとなったんです。

本来であればもっとも守るべき価値のある立場にいる社長が、自ら率先して改革を試み、役員を始めとした社員はそれまで何もせずに与えられたポストにしがみついていたのです。

お茶の件1つ取ってもそうですよね?

世の中には「おいおい、人から取る前にまずはそっち側でどうにかするべきものがあるんじゃないか?」と言いたくなるものが多々ありますが、はとバス役員がお茶を安価なものにした件も、同じメンタルから来るものだと思います。

自らお客様目線に立つということも、それまで既存の社員たちは思いつきもしなかったのではないでしょうか?

お客様がサービスに支払う対価が、自分のお金・人生になっているというもっとも重要な意識が欠落していたのです。

よくいる「お客が来ようが来まいが、コンビニのバイトなんかマジメにやってられねえよ」みたいな人。これと似たようなメンタルレベルの社員が上手く出世して、上役を構成していたわけです。

このような意識だと、コンビニはもちろん、このように大きな企業でさえも危機に瀕する羽目になってしまうんです。

おれが思うに、宮端さんのような社長さんは、おそらくコンビニのバイトをしたとしても高いレベルで仕事をこなすでしょう。

これは非常にシンプルなことで、できる人は何をさせてもできるし、できない人は何させてもできない、というだけです。

「自分がやらなければ会社がつぶれる」「自分がお客様目線に立って改革する」これが経営者の責任感。

「このままきめられたことをやっていれば給料がもらえる」「既得権益は削りたくないから、お客さんへのサービスの質を落とそう」「いざとなれば誰かが、いや、東京都が何とかしてくれる」これが雇われ人の責任感。

これは『他力本願』『人任せ』とも言い換えられますね。

これが決定的な経営者と雇われ人のメンタルの違いです。

あと個人的にこの宮端さんがすごいなと思ったのが、そんなできない社員にも怒らないこと。自分がその立場ならクビにしてしまいたいとすら思ったはず。

素晴らしい経営者は器もデカいものだな、と思いました。

経営者と雇われ人は『発想・着眼点』が別物

こちらは回転ずしチェーンの有名どころ『くら寿司』の社長・田中邦彦さんのお話。

くら寿司は「1皿108円!」が売りの、大人から子供まで大人気の回転ずしです。

そんなくら寿司は、昨今中国で生魚食がブームとなったことにより、尖閣諸島近くの漁場をはじめ、派手な漁をするようになったんです。

そのあおりでくら寿司も、魚の仕入れの減少、仕入れ値の高騰というピンチをむかえてしまうことになります。

しかし社長の田中さんは、リーズナブルに提供されるお寿司を食べて喜ぶお客さんの姿を見ていると、値上げに踏みきることができず、この先の営業方針について頭を悩ませてていました。

そんな折、自ら趣味の海釣りをしていた田中さんは、漁港に魚を獲って帰ってきた漁師さんが、安かったり、漁獲量が半端で売れない魚を捨ててしまっているのを目にました。

しかも、その中には食べてみると美味しい魚もあったそうです。

そこにヒントを得た田中さんは、くら寿司起死回生の策を思いつきます。

まずは試しに、これまでに寿司ネタとして提供されることのなかった魚をお店に持ち帰り、職人たちに商品として出せないか提案します。

始めは職人たちも「こんなの普通出さないですよ」「無茶ですよ」と難色を示してします。

ですが、それを押し切って寿司を試作してみたところ、反応は一変。「これなら売れる」とお店で商品化することになったんです。

ここからが本番です。田中さんは漁港の漁師さんたちににある斬新な取引を持ち掛けます。

その取引方法とは、漁船で取れたさまざまな種類の魚すべてを、一年の定額で丸ごと買い取るというものでした。

この取引が成立したことによって、漁師さんは今までロスしていた魚を売れるようになって収入が上がり、くら寿司もよりバラエティーに富んだお寿司をこれまで通り安価で提供できるようになったのです。

まさにwin-winの理想的なビジネスです。

さらに、漁獲量が少なく寿司ネタとして全国に行き渡らないような魚は、新たにオープンさせた鮮魚店で、リーズナブルな価格で販売したり、惣菜に加工して販売したりしました。

そのほかのトビウオといったそのままではなかなか売れない魚も、すり身にして『スリーミーコロッケ』という商品にして販売します。

ほかにも、観賞魚にしたり、生けすにいる備蓄用の魚のまき餌にしたりと、低額で仕入れた魚を無駄なく運用するためのシステムが作られたんです。

以上がくら寿司社長・田中さんの魚の仕入れのピンチを救ったエピソードです。

この今まで誰もしていなかったアイディアをビジネスにするところが、抜きんでた経営者のすごいところですね。

一船丸ごと定額買い取り制にしても、今まで寿司ネタにならなかった魚の商品化も、大抵の人は「聞いたことがない」「前例がない」「そういうものだから無理に決まってる」と先入観にとらわれて決めつけてしまいます。

行動に移したり、形にしようとしたりといったところまでは至りません。

このような一流の経営者さんが共通して持っている責任感を突き詰めていくと、「社会に対して貢献したい」という想いがあると思います。

田中さんなら「美味しいお寿司をリーズナブルに提供してお客様によろこんでもらいたい」と言った想いです。

普通に勤めている人にはこのようなマインドを持った方はほぼいないのが現実だと思います。

多くの人は自分の給料、自分の生活、自分の給料のために働いています。ですから、拘束時間や待遇に不満を抱えていたり、愚痴をはくことが多いんです。

それは「やっているの」ではなく「やらされているから」あるいは「仕方なくやっているから」です。

経営者の社会貢献マインドを持っている勤め人がいたとしても、その会社がよっぽど自己の目標実現に適した環境でない限りは、遅かれ独立の道を選ぶのではないでしょうか?

それが社会に貢献するために自分のやりたいことができる、もっとも最適な道であるからにほかなりません。

これらが2つ目の経営者と雇われ人のメンタルの違いです。

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ここからは余談のようなものですが、私自身のこれまでの経験から気づいていたことを書いていきます。

まず、はじめにおれ自身が雇われ人メンタルの人とは対極にある人間なので、昔からアルバイトなどでも雇われの責任者と非常に反発し合う傾向にありました。

とにかく水と油で、合わないんです。

会社や組織の中で出世して地位を確立していくのに長けている人はと言うと、雇われ人メンタルのほうです。なぜなら自分がないからです。

「自分がこうしたい、ああしたい」というのもなく、ひたすら上司のご機嫌取りのために動くことができるので、手っ取り早く気に入られることができるんです。

刑事ドラマや医療ドラマなどでも、必ず腰巾着的な存在の人がいますよね?「御意!」っていうあれです。

そして、早い話が組織の2番以下というのはそういう人の連鎖で成り立っているんですね。『類は友を呼ぶ』ということです。「仕事に精出すよりも、上司と同じ趣味を習得した方が出世に得」なんて話も聞いたことがります。

それができる人が、出世できる雇われメンタルの人ということです。

かつておれは、数回デートを重ねていた女性と結局上手くいかずに終わってしまった経験があるんですが、その子が好みのタイプとして言っていたのが、「自分のない人」だったんです。はじめは「?」でしたが、その意味がのちになって理解できました。

おそらく何も言わずに黙って毎日食いぶちを稼いでくる男が良かったのだろうと思います。それこそまさに雇われ人メンタルの人です。確かに結婚とか考えたらその方が良さそうです。

そりゃあ上手くいかないはず。おれはすごく自分があるので、真逆のタイプです。

さっきの話に戻りますが、おれと馬が合わないタイプの上司は、下の立場から嫌われている人間ばかりでした。

おれは逆に昔から後輩や年下からは好かれていました。おれ自身は免許も持ってないのにドライブ旅行とかしょっちゅう連れていかれたりしていました。

以前働いていたところのマネージャーが嫌いで、ある時ケンカして辞めることになった時にも、そういう後輩の子たちが、上に「やめさせないで」「それなら自分も辞めます」と嘆願しにいったことで、あとで「おまえカリスマだな」などと言われたこともありました。

怒って注意したりすることもあったのに、「もし起業したら、下で働きたいです」なんて言われたり。偉そうにするのもされるのも嫌いで、けっこう後輩に甘いところがあったからかもしれません。

はとバスの例でもあったように、大した器でもない雇われ人に限って現場社員に対して「末端」などと呼んだりと、偉そうにしているものです。

それに、上は上でもそれが社長とかトップに立つような人とになると、なぜかけっこう気に入られるんですよね。やはり馬が合うからではないかと思います。

長々書きましたけど、こういう面で見ると人間は大きく2つにわけることができるというのがおれの考えです。上の立場の者に好かれる人間と、下の立場の者に好かれる人間。

前者ばかりが上に立っているから、下の立場の者はストレス抱えたり病んだりするんではないでしょうか。ひいてはブラック企業の蔓延するストレス社会の出来上がりです。

ですから本来、上ではなく下の者が選んだ人間を出世させるべきであると思います。まぁ自分は組織に属することそのものが得意じゃないんで関係ないんですが。

もちろん経営者は下の立場から好かれる人間じゃないと絶対なれません

能力も大事ですがそれ以上に大切なのが上に立てる器の大きさがあるかどうか、です。上に好かれるタイプはいけても2番手止まりです。人間的適性が無いので。

おれと同じようなタイプの人は、どこかの組織に属するのではなく、独立・起業して自分が動かせる組織を作った方が社会に貢献できると思います。

まとめ

今回例に挙げた経営者さんは、誰もが知るような会社の社長さんなので、やはり並の才覚ではないでしょう。これは一にぎりの極端な例だと思います。

ですが、学生・あるいは子供のころから「将来は経営者になる」と思っている人はいますが、そういう人は社会人として始めは勤め人になったとしても、仕事で成果を出し、やがて独立する人が多いはずです。

そういう人は『自力本願』であり、その時点ですでに経営者としての素質を持っている可能性が高いでしょう。

もちろんそれは社会人になってからも同じ目標を抱き続けていればの話です。「与えられたことだけやっていれば給料がもらえるのだ」というぬるま湯が心地よくなることがなければ。

それではこちら記事はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

また人が嫌う正論を叩きつけてしまいました・・・当たり障りのない記事にしないと読者が増えないんだよなー。まぁ本音だから仕方なし!

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