【ここが変だよ!雇用労働】『排水口を掃除をする人』は起業すべきです!

【ここが変だよ!雇用労働】『排水口を掃除をする人』は起業すべきです!

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昨年のことですが、パソコンを新調するための資金をかせぐために、とある仕事に行ってきました。

勤務中にも「あいかわらず雇用労働ってつまらないよなぁ」という感想が大半を埋めていたのですが、久々に自分以外の人たちといっしょに仕事をしたので、いくつかの面白い点に気づくことができました。

自分は1つ考えだすと止まらないタイプの人間です。

今日はその仕事をしている中で考えたこと、いっしょに働いた経営者や同僚について感じた疑問などについて、まとめてみることにしました。

一つの仕事に群がりがち

たとえば10人程度のグループがあったとします。そして、ある時そのグループのリーダーがメンバーに向けて「この仕事をやってほしい」と言います。

するとどうでしょう?メンバーの中のほとんどの人がそのたった一つの仕事に群がっていってしまいます。その仕事の規模がせいぜい5人程度いれば足りるものだったとしてもです。

これは日本の組織の仕事のしかたにありがちなパターンだと言えます。特に仕事の分担がきっちりと行われる前段階の組織には顕著に見られます。

ですが、おれ自身がそういう状況になった場合はこのように行動します。

まず、最初に命じられた仕事に必要なだけの人数が集まったのを見計らって、ほかに必要になりそうな仕事を探し、見つからなければ、「では、ほかに自分がやるべき仕事はありますか?」とリーダーに問います。なぜなら初めからその仕事には人数がそれほど必要ないということがわかっているからです。

自分にとっては、そのように全体が右往左往しているような状態が、とても非効率的に思えてしまうのです。

ですが、多くの職場で見られる日本の労働体質の中でそれをすると「やる気がない」と見なされてしまう場合が多いのです。なぜかというと、それは日本の労働における評価が、全体の流れを構成する一部としての、表面的な部分でしか行われていないからです。

まず右往左往することが、組織を構成する人員としての役割とみなされているのです。

もちろん、すべてのリーダーがそうだというわけではありません。なかには初めからきっちりと分担を割り振って仕事に当たらせるリーダーもいるでしょう。

しかし、日本の労働時間が他の先進国に比べて長時間になる理由のひとつに、このように人員のポジショニングが非効率的なものになっていることが考えられると思います。

アメリカのリンカーン元大統領の言葉にこのようなものがあります。“もし、一本の木を伐るのに8時間の時間を与えられたら、私は木を伐るための斧を研ぐことに、6時間の時間をかける”、と。

つまり、仕事にとりかかる前の段取りの時点で、成果が決まるのだ、ということを例えているのです。

そしてもう一つの原因はやはり、雇用労働についている人のほとんどにとって、仕事は与えられるものであり、自ら主体的に動くことに慣れていないことにあると思います。

私が昨年勤めた仕事でも、そのように一つの仕事に余分に集まったり、一人で十分に遂行可能な仕事に「自分も手伝いますか?」と言われたりすることがよくあったので、その都度「一人で十分できるから、別の仕事をやってください」と言っていました。

自ら主体的に仕事を見つけられない人にありがちなのが、「休みに何をしていいかわからずヒマを持て余してしまう」という特徴です。こういう人にとっては、会社で雇用労働に従事しているのが一番適しているし、楽なのです。

逆に自ら仕事を見つけて次々にこなしていけるタイプの人は、家に一人でいてもどれだけ時間があっても、ヒマを持て余すということはないのです。おれ自身もそうで、むしろ毎日時間がもっと(できれば2倍ほど)あればいいと常々思っています。

仕事を的確に分担できるリーダーと、主体的に行動できる人員がいれば、組織の業務効率は飛躍的に高まるはずです。企業はそのような人事体制作りや教育を心がけるべきだと思います。

やらない人に限って、文句ばかり多い

ある日、仕事を開始してまもなく、先輩の年長女性(正規社員ではないので上司ではない)に言われました。「ごみがたまっているのに気が付いたら、捨てに行くようにしてください」と。

たしかにごみ袋を見るとパンパンになっていました。そこの業務の性質上ごみがたくさん出るのです。

しかし―――おれにとっては今までの職務経験上、ごみがたまっていたら一日の最後に捨てに行くのは至極当然のことです。現にその職場でも、勤務の終わる前にはいつも捨ててから帰っていました。

そこでおれは彼女に、「一昨日は自分がいたので捨てて帰りましたが、昨日は自分が休みだったので捨てられていないみたいですね」と、こともなげに言いました。

ふつうならば、「…はい(おれはいつも捨てて帰ってるよ…人のせいにするなよ)」とでも言うのかもしれません。しかし、自分は裏表のないタイプですし、ストレスもためたくないタイプです。

すると彼女は返す言葉もなくした様子でその場を去りました。そして後でほかのスタッフにそのことを話したようで、別のスタッフから「いつもすみません」と言われました。

また後日、同じ女性が(上の件があってから自分には何も言ってこなくなっていました)、経営者に別のスタッフの仕事についての文句を言っていました。

そこでまたついつい気分が悪くなったおれは「あなたその仕事自分ではやっていないですよね?なのに、できてないからと人の文句言うのおかしくないですか?」と言いました。

これらのことから考えるのは、世の中には「おのずからやる人間」と「言うだけの人間」がいるということです。上の件にしてもおれにしてみれば「人に言うくらいなら、まず自分が捨てに行けよ」と思うわけです。

ところが実際には、やってない人に限ってごたごたと文句が多いんですね。

中にはおれから見て仕事ができる女性の先輩もいましたが、その人は人に対しての文句をほとんど言わずに、自分が率先して動く人でした。

前述の人は何かといえば周りに仕事を振っていましたが、この方は「代わりにやりましょうか?」といっても、「ぜんぜん大丈夫です」と、むしろ人に頼むことが悪いと思っているように、自分で仕事をこなしていました。

この話がタイトルにつながるわけですが、たとえば複数の人間が一つ屋根の下で暮らしていた場合に、“排水口の掃除をするタイプと、しないタイプ”がいて、そこに住む全員の出したごみがそこに流れているはずなのに、自主的にやる人はいつも決まっているんです。

そして、ある時それをいつもやっている人が、いつもより忙くてできなかったり、ど忘れてしまったりするとします。それを見たやらないタイプの人がこういうわけです。

「ちゃんとやってよ」と。

自分は結婚していませんが、よくテレビなどで見かける、家事を奥さんに任せっきりで何もしない夫。そういう夫に限って、奥さんの家事に対して、やれ「何ができていない」「もっとああしろ」などと文句をつけているのではないでしょうか?

やっていない人には大変さがわからないので、かんたんに言えるのです。

これまでのおれの経験では、雇用労働で会社に言われたことをやっている人には、ひとたび家庭に帰ると、排水口の掃除のようなことを他人に任せっきりにしているタイプの人が割といますね。

自覚がない人もいるでしょう。

また、悪いことにそういう人に限って、会社で上司に取り入る要領だけは心得ていることも否めません。やることが少なければそりゃあミス・やり忘れも少なくなりますし、一見はちゃんとできているように見せかけすいものですね。

以上のことから、排水口の掃除ができるタイプの人は、雇用労働でまわりの責任を押し付けられるよりも、自分で責任を負う独立起業に向いているということが言えると思います

自分以外の責任も負いながら(時に押し付けられながら)働き続けるよりは、やるもやらないも自分次第という環境で仕事をしたほうが、ストレスも少なく充実した仕事ができるはずです。

また主体的に仕事ができる人には、さまざまなアイディアを出す能力も高いので、ビジネスのチャンスを生み出しやすくなるのです。

反対に、できないタイプが起業した場合、どうでしょう?

「あれをやれ!これをやれ!どうしてやってないんだ?なんでできないんだ?」と、責任を部下に押し付け、上手くいったときの成果だけは自分のもの。このような、よくいるブラック起業経営者の出来上がりです。

経営者やリーダーに必要な条件は多々ありますが、まず誰よりも率先して動ける人でなければならないと、おれは思います。

要は責任感の問題です。

仕事は増やすけど給料は増やさない

毎日の仕事の中で、おれはある日、おなじ条件で雇われたはずなのに自分の仕事の割合が70%、同じ仕事を担当していた同僚が30%くらいになっていることに気づきました。

これはおれの被害妄想でなく、それとなく経営者にそのことにふれてみた折に「(同僚)にやらせてもちゃんとできないんだよ」という言質を事実として得ています。

でもおれにしてみれば「それは違うのではないか?」と思うのです。

できるほうに頼りきって仕事を任せる。なるほど表面的には仕事がスムーズにいくのでいいかもしれません。事実社会はそのようにして動いていると言えます。

“組織の中で実質利益を生み出しているのは20%の人である”という『パレートの法則』を聞いたことがある人もいるでしょう。

しかし、できない人にたいして指導を行って改善するでもなく、できる人に仕事の配分を増やして、給料は同じだけしか払わない。それにはまったく納得がいきませんでした。

そこでおれは経営者への交渉の末に、給料をほかの人よりも上げてもらえるよう要請しました。自分がいなくなれば回らなくなることがわかっていたので、退職をちらつかせそこにつけ込んだのです。自分にしてみれば、その仕事に固執する理由はないわけですから。

結果的に、おれは昇給してもらうことに成功しました。

おれは資本主義を肯定しているわけではありませんが、それでも世の中が資本主義であることに変わりはありませんし、資本主義でただこらえ続けている人は負けるだけです。

日本人はその辺の主張をせずに、まわりに同調したり、会社の顔色をうかがってこらえる人が多いですよね。それゆえ、企業に足もとを見られるわけです。

それが日本人が主張の強いよその国に負け始めた理由だと思っています。(ディスっているのではなく、いわば叱咤激励です)

よく言っている人がいますよね?「責任ばかり増えていくけど、給料はぜんぜん上がらない」と。

でもそれは自分のせいでもあります。それを会社に伝えて給料を上げてもらえばいいだけの話ですよね?「給料が上がらないのであれば別の会社にいきます」と言えば、その人の能力が必要な会社は、引き留めるために給料を上げるはずでは?

それができないのは、結局「それほどの働きをしていないのだ」と自覚しているからにすぎないのではないでしょうか?

雨を待って口をあけて空を見ているのではなく、自ら水をくみにいかねばなりません。

それに逆の視点で見れば、そこまで高い金を払いたくない社員を雇い続けている会社もいったい何なんだろう?とも思います。要はこっちもなあなあ、あっちもなあなあで雇用・被雇用が成り立っているわけです。

それは、生産が減り、雇用が減り、消費が減り、生産が…という日本社会の現状の縮図のような、停滞した集合体なのです。

「ヒットを打て」とサインを送るだけ

前項と似たような件なんですが、これは経営者について思ったことです。

こういう経営者や上司がいますね。野球で例えるなら、

「ヒットを打て!打ち方?知らん!自分で考えろ!」

というタイプの人。そういう人はいつも部下に対して文句を言っています。

「ヒットを打て!」とサインを送ったり言ったりするだけならば、猿には難しくとも、小学生でもできます。ですから、上に立つ者がやるべきことは、「ヒットを打て!」と口で言うことじゃなく、ヒットを打つ方法を教えることなんです。

それもできないくせに、「あいつはダメだ」とか部下の文句ばかり言ってたり、仕事を振らずに放置しておいたり、あまつさえ、陰口をたたいたりするなんて、それはもう上に立つ資質を持った人じゃないですよね。

そもそも文句などというものは、下の人が上の人に言うならまだしも、上の人は下に文句を言っているヒマがあるなら、やるべきことがあるんです。

そもそも雇ったのは自分でしょ?という話です。

ほんとうにできない、どうしようもない、やるきのない人で、「あらゆる手を尽くしたがどうしても育てることができなかった・・・」と言うんであれば、文句を言うんじゃなく、クビにしないと駄目ですよね。

育てもしない、クビにもしない、文句を言うだけ。これはバカのすることです。できない人にはできるようになるまで教えなければいけません。それが雇った者、上に立つ者の責任です。

できる人間に仕事をまかせておけば、自分ができる人間になった気になれるのかもしれませんが、結局は自分も“できない側の人”にすぎないんですよ。下にいた時にはある程度有能だったのかもしれませんが、上に立ってみるとそうではなかったということでしょう。

しかし事実、上に取り入るゴマすり上手なだけの人が、昇進だの出世だのをしてるケースって多々あるのではないでしょうか?そんなことで社会全体の生産性だ品質だは向上するのでしょうか?

答えはNo.です。

かねてから言っていますが、出世する人は上でなく、下が選ぶべきなんですよ。そうすれば真に有能な人『ヒットの打ち方を教えられる人』が率先して動かしていくような社会が作られると思います。

そして、それらを考えると『終身雇用制』とは、やはり不毛なものであると言わざるを得ません。やり直しの利かないゲームのガチャガチャみたいなものでしょうか?これは『思考停止雇用』と言い換えてもいいと思います。

これでは、育てられない人の下に、育てられない人が続いていくだけ・・・動きのない雇用です。

中途採用の求人を見てもそうです。『即戦力、求む!』というものです。

あれは「自分には育てられないので、すでにどこかで育った人来てください!」と言ってるのと同じことです。少ない人数でやっている小さな企業ならば、それも仕方ないとは思いますが最近はほとんどの会社がそうであるように思います。(今の日本の雇用情勢は“人手不足”だそうです)

その仕事がどれほど専門的なものなのか?育てるヒマがないほど業務が切羽詰まってクラッシュしそうな状態なのか?

実のところは、育てられないだけなのだと思います。これらすべてが『思考停止採用』というべきものです。

かねてから言っていますが、出世する人は上でなく、下が選ぶべきなんですよ。そうすれば真に有能な人『ヒットの打ち方を教えられる人』が率先して動かしていくような社会が作られると思います。

まとめ

以前からわかっていたことですが、働いている間ずっとこんなことを考え、終わってからもこんなことをつらつらと書いたことを見返していて「そりゃあ、こんなやつに雇われ仕事なんて無理だよな」と再認識してしまいました。

日本の雇用労働体質を根本から否定しているので、多くの人には批判的な見方されるだろうと思います。なにより、企業もこんな人間絶対に雇いたくないと思います。

とはいえ人にはいろんな考え方、性格がいて当たり前ですし、ふつうに企業に長く勤めている人の中にも、ある時から精神や体を病んでしまう人もいます。それは本当は自分とは形の違う型に長いこと自分をはめこんでいたせいで、ストレスがたまってしまったからではないでしょうか?

型にはまれない自分は、自らが入るための型を作っていかなければなりません。

それはすでに用意されている型に入るよりもずっと大変なことですが、同時に自分にどんな型が作れるのかとても楽しみでもあります。

というわけで、今回は久々に就いた雇用労働の中で感じた、労働への個人的見解を書かせていただきました。

長文になりましたが、お読みいただきありがとうございます。

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