社会で『生きづらい人』とはどういう人かを考えれば生きやすい人になれる?

社会で『生きづらい人』とはどういう人かを考えれば生きやすい人になれる?

シェア

まず、おれは生きづらいですね。社会が苦手よいうより、端的に言えば社会が概ね備えている性質が嫌いだからです。

生きづらいと思っている人は、世の中にたくさんいるんじゃないでしょうか。人間は本来千差万別の見た目・思考を持っていて当然なのに、それを社会という一本のラインにまとめて乗せてしまうのが現代です。

というかそれ以前も変わらないかもしれません。なぜなら有史以来人間の集団には権力が存在しており、大衆はそれらの支配の下に生かされているのであって、誰しも真に自由には生きられないからです。

このことについて考えを巡らせることのない人たちは「よくできてるんだなぁ」と思います。あくまで社会構造における大勢・権力にとっては、という意味ですが。

  1. 今回は『考える人間』ことおれが、『生きづらい人』と『生きやすい人』について考察し、どうすれば生きやすくなるのかを探っていきます。

長いものに巻かれたいと思わない人は生きづらい

この社会では長いものにだまって巻かれていないやつは白い目で見られます。自分が間違ってると思ったことを公に口にしたら「変わった人」「怖い人」みたいなね。

最近も吉本問題がありましたが、その中で、極楽とんぼの加藤さんが公に会社批判をしましたが、ネットでけっこう叩かれてました。

叩かれている理由を見ていると、「口だけで結局行動しなかった」とかなんとか、そんな難癖がほとんどみたいでした。しかし、おれも組織に属した経験はあるのでわかりますが、どれだけ反発心を感じて行動に出たとしても、相手から「改めるので、一旦考え直してくれないか」と言われたら、一時的に毒気を抜かれて矛を収めることもありますよね?

逆にそんなのものともせずに怒りに執着できる人間って、それこそアブない人ですよ。

この批判って要するに、はじめから自分の意思で上の力に逆らおうと考えたこともない人が、「ほらね やっぱりね」と異端批判して胸をなでおろしているだけなんですよね。

たとえば、ある会社で常習的に続いていたパワハラに対し、ついにキレて反抗した人が、それまでは同じように影で不満をタラタラたれ流していた人たちから、総スカンを食らったなんて話を聞いたこともあります。

レール社会ではライン行程から外れた異端的行動をする人がいると、ある種のパニックというか集団ヒステリー的な批判をすることはよく見られます。

前に『人は人を見抜けていない』というテーマで記事を書いたことがあります。表はいい顔をとりつくろい裏では別の顔、「そうやって生きていくのが正解なんだよ」と肯定される傾向にあります。でも、それは社会では正しいとしても、別に人間として正しいわけではないんですね。

しかし、社会ではそういう上手な裏表使いで長いものに巻かれる人が求められているので、そういう人は生きやすく、そうできない人は生きづらいということになります。

ビッグウェーブで「ウェーイ!」は生きやすい

世間にはその時代時代ごとに流行り・ブームと言われるものがあります。たとえば、昔の『たまごっち』とか数年前の妖怪ウォッチとか、一時期のソフトバンクとかiphoneとか。食べ物で言えば今のタピオカブームとか。

大抵流行りすたりを仕掛けているのはテレビ業界ですよね。テレビが流行らせたいものを流行っていると言えば、それが後で事実になるんですよ。

おれはそういうののどれにもぜんぜん興味をひかれないです。テレビとか世間とか関係なく自分が認めるか認めないか、です。

自分の興味と一致することもあるんですけどね。タレントや歌手にもその時代時代でやたらともてはやされる人がいますが、たとえば自分の好きな乃木坂46も世間では流行ってます。しかしおれがファンになったきっかけ自体は3年以上前で、たまたま番組を見かけたことなので、あまり関係ありません。

それ以外にも韓流とかアイドルグループはたくさん出てくるけど、ほかはほぼ全部興味ないですし、この先もないでしょう。乃木坂がすごいだけです。

そのコンテンツ自体を否定しているんではなく、流行(ビッグウェーブ)に乗っかることに疑問を感じます。

やっぱりタピオカドリンクみたいなものは、その『流行に乗る(いわばミーハー)』という意味で最たるものだと思いますね。だって新しく生まれたものじゃなく、ずっとあったものですからね?

さすがにこのレベルになると軽い嫌悪感も出てきて、おれも人生で数回は飲んだことはあるし美味いとも思うけど、去年今年あたりからテレビで「大人気です!人気店には大行列ができています!」と言われるようになってからは、一度も飲んでいません。

流行りを追う人って全部に乗るじゃないですか。それは、多分自分がないんだと思います。ここがポイントなんですよ。タピオカ屋作れば来るし。自分がない人って社会にとってはすごく都合よくできた人じゃないですか。羊は一匹連れてくれば、ほかもついてくるんで草を食べさせる時の移動も楽なのを知っていますか?羊のような人ははまさしく生きやすい人です。

それに、自分がない人って結構モテるんです。なぜって交際や結婚の相手としても都合がいいからです。

こういう風な主張をすると、「異端アピールするな」「変人ぶるのウザい!」とか言われてしまうんこともありますけどね。いやいや、そんな大層なもんじゃなくて「あなたとまったく違うだけ」って話でしかないんですが。

アマゾンでリンゴを食う遭難者たちは生きやすい

有識者やある程度普段から思考する人のあいだでは問題視されているんですけど、日本人の多くは税金もまともに払っていないような外国企業をご愛顧しているんですよね。これ、日本国民の残念で由々しき問題。

Apple Amazon + 課税逃れ で検索すればたくさん出てきます。

http://www.okumura.ne.jp/blog/1723/

で消費税が上がるだどうだとかさっきまで騒いでたかと思えば、こちらではiphoneでAmazonひらいてポチーですからね。顔マジマジ見たくなります。

税金を取るべきところからきちんとブン取らずに、文句言わずにくれる国民にばかり都合してもらおうとする日本の政府も残念です。

しかし個人レベルの問題として、一つのことを関連付けて考えることができない人が多いです。税金逃れする外国企業で国民の大勢が買い物していれば、目先の金が百円2百円浮いたところで、巡り巡って自分がそれを肩代わりする羽目になるってことまでわかっていないんですね。

「賢者は2歩先を見る」「賢者は1を知って10に気づく」

「iphone・Androidどっちがスペックが高い?」とか「サクサク動く」だとか、そんな論の外は寝言でやってりゃいいんです。

まぁ、おれの知り合いにも多いですけどね。最近気づいた人の思考回路なんですが、「自分は違う」かあるいは「自分はいい」と思い込んでいるのか、自分を棚に上げてその場の話に同調する人がけっこういるんですよ。これは受け身型の人に多いです。

「え?君もでしょ?」とこっちからいうまでわからない。

受け身の人って考えないことへのいいわけが上手なんですよ。「見やすさガー」「ヌルヌルサクサクガー」とか。ほんとに思ってんの?て感じです。周りがそういうから聞いた風なこと言ってるだけでしょ。そういう人に限ってゲームやSNS・マンガくらいの使い道しかないんです。

で、本題なんですけど、考えない人、つまり賢者でない人は生きやすいです。

昔クフ王とかの権力の下でピラミッドの石運びさせらしてた人たちが「なんでおれピラミッドに石つまさせられてんだろ・・・?」とか考えたところで、逆らったら殺されるだけですからね。

まぁ、現代でiphoneやAmazonに逆らって製品買わなかったところで、別に命まで取られやしないんだから、もうちょっと考えても損はない気がしますね。

調べればわかる通り、外国ではすでにAmazonやApple、Google対してガッツリ税金を接収する方法を検討していますからね。まぁ構図的に権力闘争みたいなもんでしょうけど、基本やられっぱなしでいる者には、負け犬の烙印が押されるだけです。

あ、賢者おれは今までスマホはAndroid(日本メーカー)一筋です。

マナー・モラル意識と生きやすさは反比例

夏も終わりですが、東京都内のでかい花火大会があると、人がはけたあとにはゴミが散乱していてひどいらしいです。ハロウィンとかサッカーのWPもそうか。

隅田川花火大会、東京に来て一度行きましたが、二度と行きたくないですね。花火は好きだけど、あれは花火より人混みの印象が強すぎて。そんなに知らない人と密着したくないですし。

そんなおれは自分で出したゴミはきっちりと持ち帰りますよ。おれはそういった見物人たちと違って人に尻をふいてもらう習慣はないですから。どういう思考したらそこにゴミを放置していこうと思えるのか想像もつきません。逆に置いていく人は、拾う人がいるということを想像できていないんでしょう。

だからもしかしたら、大勢の流れにのまれやすいミーハー度が高い人は、マナーやモラル意識が低い人と考えていいんじゃないかなと思ったわけです。

マナーなどよりも「周りがやっているから自分もやっていいんだ」とね。なぜって、理由は上でも書いたように、自分がないから

そりゃゴミをそこらへんにほっぽっていけば、持ち歩かなくていいから楽ですよね。それを考えると、やっぱり「彼ら、生きやすいだろうなぁ」と思います。

他人が損をしても楽をしたい。いわば『量産型サイコパス』です。すごい大犯罪をやらかすことはないが、大勢になったり人が見てないところで背徳的行為をするセコい者のことです。

まとめ

考えを深めていくと延々と事柄が思い浮かんできそうなんで、今回はこれくらいにしておきます。今まで「生きづらい」と感じていた方は、なぜ生きづらいのかという理由に気づきがあったでしょうか?

結論を言うと、おれはその生きやすさをまったくうらやましく思えないということなんです。

最初に「苦手じゃなくて嫌い」と書きましたが、その通り、おれはそれで苦しいと感じることがありません。なぜって、自分が正しいということを認識しているからですね。

そういう風に生きやすい人に生まれなくてほんとによかったな、ありがたいな、お父さんお母さんナイス!と思います。

なので共感できるけど、悩んでいる人。世間と自分を比べて自分を卑下したりしないでください。ここに書かれていることに共感できたらそれは正しいということです。おれはそういう人としか付き合いができません。

生きづらいということは人として正しいということなんです。

今回は以上です!ありがとうございました。

お役に立ちましたらクリックお願いします!下のコメント欄への書き込みもお気軽にどうぞ!
人気ブログランキング

 

スポンサーリンク

シェア

SNSフォローボタン

フォローする

関連記事



スポンサーリンク